秘密の編集日記(自宅から直送)
【とかくこの世は相対性】(08/4/18)
1+1=2
これは絶対ですか?
何を言っているのと思われるかもしれない。例えば小学校の授業などではわかりやすく、リンゴ1個にリンゴ1個を加えると2個になります、みたいな
教え方をしているから、「1+1=2」は絶対だ、と胸を張って言えるだろう。
でも、ちょっと考えてみて欲しい。1個の粘土の固まりと1個の粘土の固まりを足したら、1個の大きい粘土にならないか?つまり、「1+1=1」という
式が個数の単位において成り立ってしまうのだ。また、だいぶヘリクツだが、リンゴが1個入っている箱にもう1個のリンゴを投げ入れる、するとリンゴ
同士がぶつかって傷がついてしまった。傷のついたリンゴは売り物にならない、つまり価値は0である。すると個数で考えれば、箱の中には「1+1=2」
個のリンゴがあるが、売り物としての価値で考えれば「1+1=0」になってしまったことになる。
これってすごいことだと思う。「1+1=2」というごくシンプルで誰にとっても当たり前で絶対的な数式が観測方法を少し変えただけで成立しなくなる
のだ。
【ケータイ小説ってどうなの】(08/2/23)
若者の活字離れが叫ばれてからもう何年も経った気がする。そういえばボクが中学生とかの頃にはもうすでに言われていたんじゃなかったっけ?
そんななか、最近はケータイ小説なるものが流行っているのだが、どんなもんだろうね。「恋空」なんかが映画化されて興行的にはヒットしたようだが、
話の内容については結構ボロクソに言われていることを考えると、どうしてもケータイ小説=チープという印象が拭えない。まあ、読んでもいないくせに
偉そうなことは言えないが。
ところで、そんなケータイ小説を読んだ若者たちが今後ちゃんとした小説を読むか?というとはなはだ疑問に思う。それは別に、ケータイ小説なんて
文学と認めないとかそういうことではなくて、やはりデジタルデータとして配信されたものは一過性にすぎないのではないか、という思いが強いからだ。
買いに行く手間が省けて便利なのは言うまでもないし、紙を使用しないことでエコとも言えるから、ケータイやパソコンで小説を読むことを否定はしない。
だが、正直言ってありがたみがない気がするのだ。やはり本として本棚に鎮座ましましているその存在感って大事だと思うんだ。
音楽でもそうだ、iPodが普及してCDが売れなくなったと言われるが、それは音楽バブルで何でもかんでもミリオンセール突破だった時代が異常だっただけ
の話で、実際好きなアーティストの曲は今でもみんなCD買って聞くだろう。
そう考えるとテレビやラジオなんかで流れることによってその存在を知られる音楽と違って、本の場合は間口が狭いよなあ。考えてみればボクが本格的に
本を読み始めたのも、ゲームの三国志にハマって三国志の小説を読むようになったのが最初だからなあ。実際、最初は漫画やゲームに関連するライトノベル
から入る人も大勢いると思う。そう考えるとケータイ小説は間口を広めるのに一役買っていると言えなくもないのかな、と少し評価を上げたところで今日の
所は筆を置こう。